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2007年1月11日から21日
日本各地から集まった15人の仲間達と、ケニア在住のフリーライター早川千晶さんとともにケニアスタディーツアーにいってきました。 ナイロビ最大のスラム・キベラから 学校や病院、 子供のための施設や家 伝統を愛し守り続けようとしている「ドゥルマ族」の村、 モンバサの港町、 そしてキリマンジャロの麓まで 旅行じゃ見れないケニアの本当の姿、裏と表、様々な角度から様々な人との出会いを通して沢山の事を学び吸収できた11日間の記録です。
丸1日近い時間をかけて、乗り継ぎを何度か経てやっと到着したケニアの首都ナイロビにあるジョモケニヤッタ国際空港。
真っ青な空と、青い草原が広がる真んを中走る道の脇には、キリンの出迎え・・・ 「ああ、本当にケニアに来たんだな。」 ![]() 明日からのはやる気持ちをそれぞれが胸に、ホテルに到着し「はじめまして」の晩餐。これから10日間、楽しいたびを過ごす仲間の集合です。
キベラ・・・
ナイロビの西部に広がる、人口80万人を超えるともいわれるケニア最大のスラム。 真っ青な空の下に、どこまでも広がるトタン屋根。 ![]() 植民地時代の鉄道建設労働者らが住み始めたのが始まりです。国から散々各地を引きずり回され、さらに強制撤去を言い渡された彼らがやっと得た安住の地を守る為に、一期に何十、何百という長屋を建ててこの地を占拠したのが、この最大のスラムが膨らんでいった所以。 ここで早川千晶さんらの発案により、地域住民が中心となってストリートチルドレンの小学校支援、女性の自助努力グループ支援、リサイクル活動などがおこなわれています。その拠点「マゴソスクール」の子供たちを訪問です。 80万人の生活の場、そこには当たり前だけど商店があり、機織り工房があったり、床屋も診療所も古くから伝わる伝統薬や占いをする場所もある。彼らの普通の生活の場であるこの町。 そこに足を踏み入れた「外国人」をジロジロよそ者扱いすることもなく、そこにはいつもと変わらないであろう活き活きした活気と、生活力が溢れていて(経験していないけど)昭和初期の戦後の市場や町みたいな感じ。 みんな、前を見て「生きてる」。 学校へ行くまでの道すがら、狭い路地から、家の中からどこからともなく沢山の子供たちが・・・ 皆、声をそろえて 「ハウ・アー・ユー?」 「ハウ・アー・ユー?」 と、ちょっと語尾を上げた独特のイントネーションで歌うように声をかけ追いかけてきます。 握手をするのがダイスキなのかな?皆かわいい小さな手を恥ずかしそうに出してきて・・・ いまでも、この「ハウ・アー・ユー」の歌声が耳から離れないくらい。キベラ中の皆の唯一知っている外国の言葉、世界と繋がっている言葉・・・ ![]() 学校の青い門をくぐったら、もうそこには沢山の子供たち!! ![]() 今日は土曜日なのに給食の時間に合わせて,そして私達を迎えるために100人近くの子供たちが集まってきてくれてました。幼稚園生から、8年生までの子供たちの教室をそれぞれ見学。 ケニアの子供たちはみんな学校がダイスキ!!勉強がダイスキです!! ![]() ![]() 「こどもたちに勉強する機会を与えたい。」 そんな強い意志をもったキベラの住人リリアンさんが長屋の一角で寺子屋をはじめたのが「マゴソスクール」。ここの子供たちは様々な家庭事情を持った子達ばかり。でも皆と一緒に勉強したい、遊びたい給食を食べたい歌が歌いたい、そんな気持ちで一杯! 今日も、小さな庭一杯に集まってそれぞれ歌や、踊りや、太鼓を披露!大歓迎の声が、ひろーい空に響き渡って・・・近所のみんなもワイワイ集まってきています。 ![]() 歌や踊りが大好きなのは子供だけじゃないっ!先生達も!! ![]() 「マシモニユースグループ」の若者達は、エイズや社会問題に訴えかける歌を作詞作曲 ![]() みんなの歌はCDを作って日本でも2枚目が出ています。自分達の歌を誰かが聞いてくれる・・・子供たちには驚くようなpowerの源に・・・ ![]() そして たくさんの歌の後には毎日の幸せをくださる神様に感謝の祈り・・・ ![]() そして、大好きな給食です!!お皿を持って並んで並んで・・・ ![]() 先生達とみんなで給食。私達の「初ケニア料理」 最高のお持て成し料理を作ってくれました。主食のウガリ、独特の味のほうれん草のようなものスクマ、トマト味のシチュー、鶏肉、牛肉の煮込み、豆、とうもろこし、じゃがいも・・・盛りだくさんの美味しい料理を、手で食べる!!そんな豪快さがまた楽しい。 ![]() ![]() 食事の後には私たちからみんなへのプレゼント。新学期を迎えたばかりの子供たち。期待一杯の楽しい毎日の勉強に役立って欲しいから、新しいノートを一人に一冊づつ。160の笑顔が!そしてジュースとビスケットのおやつも。大混乱を防ぐ為に先生は一生懸命(笑)小さい子から順番で、みんな列になってワクワク・・・作ってわたすこっちもワクワクしちゃいます。 ![]() 美味しそうに、あっという間に飲んでもらえちゃうと嬉しくなっちゃいます。 ![]() 「美味しい?」って日本語で・・・ 「うん!」って。 きっと通じてるよね! だってこんなに一杯の笑顔で、 一杯楽しい時間すごせたもんね! そして ![]() キベラで唯一の産院を開いているフリーダさんのもとへ 設備の整った産院を見せてもらいそして何よりフリーダさんが助産婦として不自由なく暮らしていた町の生活を捨てここへやってきたその理由が聞けてよかった。 「見てしまったから・・・」 そのフリーダさんの言葉が、この旅を通しキベラだけでなく様々な「ケニア」を見た私に、今もつねに問いかけてきます。 ![]() みんなこの小さな足で どんな未来を進んでいくんだろう・・・ こんな風に空を切るように、 自由にワクワクする様な夢を持ち続けて行って欲しいな・・・ こんな風に、 青い空に今にも駆け出していきそうな 元気一杯の笑顔を持ち続けていって欲しいな・・・ たくさんのキラキラした瞳と溌剌とした笑顔を、「ありがと」
ケニアの教育制度は、
8年間の初等教育(無料の義務教育)→4年間の中等教育→ 4年間の大学教育となっています。 そして初等から中等へ、中等から大学へと進学するためにはそれぞれの卒業試験で良い成績を修めなければなりません。 ![]() 小学校に入学する前に、英語、スワヒリ語の読み書きの基本、算数の基本が出来るようになっていないと小学校には入学できません。 だから、ケニアでは幼稚園生はすごく勉強をします。お昼寝と、お庭遊びばかりだった私たちとは大違いです。 ちなみに、2003年から初等教育が無料で受けられるようになりました。ただ教科書、制服は自ら買わなければならなりません。そして、制服の着用は旧宗主国イギリスの影響もあって、校則で厳しく定められています。これが家庭によってはかなりの負担にもなっています。 マゴソスクールの子供たちはオレンジ色の可愛らしい制服。ほかの学校も、緑や赤、ブルーなど原色の可愛らしい制服、そしてどの子もそんな色がとても似合います。 ![]() 少しでも子供をいい私立の学校へ入れようとしたり、そのために必死に働いていたり、また海外へ留学をさせようとしたり、ある意味では日本以上の力の入れようかもしれません。 特に、中等学校の4年生が受験して、大学等への進学を目指す中等学校卒業資格試験Kenya Certificate Secondary Education (略称KCSE) という、まさに人生を決める試験が待っており、これに向けてみんな必死に勉強をするんです。 とはいえ大学への進学率はまだまだ決して高くはなく、一部の富裕層や、エリート層の家庭あるいは本当に優秀な子達が一生懸命学費を工面したうえで進学していきます。 しかし、この進学先の大学、学部までもが全国統一の試験の結果によって、国から決められてしまうというのが現在のケニアの形です。 「エンジニア」になりたくても「教育学部」といわれてしまったら、その道へ行くしかない。 試験の、「理系」、「文系」の得点配分などを考慮したうえとはいえ、優秀な子にも才能があるかもしれない子にも、自らの選択権がないというのは少し考えさせられます。 と言っても、私立の学校や、富裕層の家庭の場合にはまた話は変わってくるというのも事実です。 とにかくケニアの子供たちはみんな 「勉強がしたい!」、 「テストをパスしたい!」、 「上の学校へ行きたい!」 と、高学年の子に限らず本当にみんな「勉強」ができることを嬉しく、大切にそして学校へ行くことを楽しみにしています。 勉強だけでなくそこで得ることのできる人間関係や、喜び、穏やかな時間その全てがまさに今彼らが求めているものなんだな・・・って。 「勉強することの意味」、「学校というものの大切さ」を、改めて見せられた気がします。 ![]() <訪問学校> ナイロビ・キベラ マゴソセンター モンバサ・ツンザ ツンザ・プライマリースクール キンテゲラ サイディア・フラハ園内 幼稚園 アンボセリ国立公園 マサイの幼稚園
ナイロビから東海岸の小さな村ミリティーニへ向かう今日は、
早朝、紙袋にオレンジとジュース、サンドイッチのお弁当を詰めてもらってホテルを出発です。 途中休憩で立ち寄ったドライブ・イン(?)では、現地のアイスクリームを食べてみたり路上で土産物を売る現地の人と話をしたり・・・長い道のりも全てが新鮮で退屈知らず。 ナイロビからはるか遠いミリティーニへのみちはとにかく凸凹、おしりも痛くて大変だけど、この道がケニアの最大の貿易港都市を結ぶ動脈。そして最も活気のある道、そして人の集まる場所。 何だかワクワクしてきます・・・ ![]() 東海岸の郊外に位置する小さな村、ミリティーニ村。 ここに暮らす長老マテラさんは太鼓の名人で、日本を始めとした各地でその腕を披露し伝統音楽「ンゴマ」の魅力を広めている人です。 活き活きした笑顔のマテラさんはとても若く見えるけど、やはり沢山の物をみて、聞いて、伝えてきたその懐の大きさはやっぱり全てを任せて頼りに出来る尊敬すべき長老なんだな・・・っと実感しました。 マテラさんの家に入れてもらい、ここでお昼ご飯をいただく事になりみんなが家に入ったとたん、まるで洪水のような大雨が・・・ 「お客様が家に入ったとたんに、恵の雨が振ってきた。家の中に幸福をもたらしてくれたお客様に神様からの祝福を受けているんです。」 そんな、温かい言葉で歓迎を受けました。 みんなで茣蓙に座って食事を囲み、本当に美味しかったココナッツご飯や、チキンを楽しみ、あっという間雨の上がった庭では、歓迎の歌と、子供たちのアクロバットチーム「ブラックタイガージュニア」のショーを見せてもらいました。 ![]() まるで忍者のような衣装に身をまとった子供たちは次々身軽にそのカラダを動かして飛んではねて転がって・・・ 「かっこいいな~」って村の子供の羨望のまなざし! 名前を紹介されれば、ちょっとかっこよく胸を張ったり手を高らかと上げたり、まさに舞台の上の英雄みたいでしょ。 ![]() 女の子たちだって、色とりどりのカンガでお洒落して歌を披露。 ちょっぴり恥ずかしがりやなところが可愛い。 そして、この村で千晶さんのひらいた、子供たちの家「ジュンバラワトト」へ・・・ この家は、村の子供たちの公民館のような所であり、また20人くらいの子供たちが一緒に生活しています。キベラからここへ引っ越してきた子もいたりして、 「みんなで一緒に暮らそう!」 そういう、この村の人々の温かさが一杯つまった場所です。 草を掻き分け進んでいくうちに、一人、二人と私たちを囲む子供たち、あんなに恥ずかしがり屋さんだった女の子たちが、一人に一人の小さな手のエスコートで、家や庭を案内してくれました。 「これは私の部屋」 「これは私のベット」 「これは私のカバン」 「ここはトイレ」 今、皆ですごしているこの家が、自分の居場所でありどれだけ子供たちの大切な場所なのか、幸せなのか、このきらきらの表情と嬉しそうに話す声が教えてくれた気がします・・・ 「いつ帰ってくるの?」 「今日泊まっていくの?」 「一緒に寝てあげる!」 「ありがと、きっとまた来るからそのときは、ベット貸してね。」 ![]() マテラ長老を囲んで、ミリティーニの皆、ジュンバラワトトのちびっ子たちと・・・ ![]() ミリティーニに暮らす太鼓の名人ムゼ・マテラのおじいさんが生まれた村、それがツンザ村。マテラさんのお父さんムゼ・マサイはセンゲーニャと呼ばれるドゥルマ民族音楽の12人の巨匠の一人。ドゥルマ社会の中でも重要な役割をはたしていた人間国宝のような人。その実質的な役割はまてらさんが引継ぎ担っています。 モンバサから船に乗って30分ちょっと、マングローブの森の間をぬって海風をうけながら船に揺れる間もずっと、マテラさんの太鼓の音が響き渡り、わかるところは大きな声で大合唱の私達のスワヒリ語も高々に・・・ もう絵に描いたような、平和、夢が待っているような胸騒ぎ・・・ ![]() とっても軽快な手のひらの動きと、とっても楽しそうな顔、こんなに人を豊かな表情にして、惹きつけている ンゴマの世界って一体どんなものなんだろう・・・ ツンザの村ってどんなところなんだろう・・・ そんなマテラ氏に師事し音楽を通して子供達や、ケニアと日本の間で様々に活躍しているのが、大西匡哉さん(上)ベマテモ(下)はマテラさんの息子。そしてマテラさんの末の弟バーティーも加わって、私たちの旅はさらに賑やかに・・・ ![]() ![]() 船を降りて、マングローブの森を遠く下に眺めながら、丘を30分ほど登ると 青々した森の遠くの方から「ドンドコドンドコ~」 太鼓の響きと、ざわめきと、歌声が・・・ すでに村の中心では、待ちきれないみんなの歓迎のダンスと歌が始まっていました。 ![]() 大きな木の下に、用意してくれた特別席。村の音楽家達の奏でる太鼓の音と、華やかな踊りです。村をあげての大歓迎をしてくれました。 私たちも村の女性と同じように色とりどりのカンガ(伝統的織物)を身にまとって・・・ いつの間にかたくさんの村の人が集まって・・・ みんな大好きな「ンゴマ」 本番はまだまだこれから・・・夜な夜な続くその魅力にむけてナンダカドキドキしてきちゃいました。 ![]() 夜は、明日森を散歩するから、この村のみんなにたくさん会って、挨拶してたくさん触れ合いたいから「ドゥルマ語」のレッスン。 ひとつの挨拶が長い。でも、「あなたは元気?私も元気、家族も家畜も、家業の調子もいい・・・」 みんなのことをお互いが知っているから、 そしてお互いを気にし合っているから、長いけどごくごく当たり前のいつもの挨拶。 挨拶の最後につく言葉、「ド~フィ~ゾ~」-よかったねぇ。 本当に優しい音で、優しい表情で、ゆっくりした甘い感じ。 この暑くって、のんびりしてて、ほのぼのした民族にピッタリな言葉が大好きになっちゃった・・・ この挨拶がもう一度したいから、本物の「ド~フィ~ゾ」を聞きたいから、言ってもらいたいから、私はもう一度ツンザに行きたい!! ママコンボの民宿があるツンザ村には、電気が来ていません。だから朝寝坊なんてもったいない。日が昇ったら命一杯汗をかいて、冷たい水のシャワーでスッキリして、やしの木下で寛ぐ。 ママがモンバサから仕入れてくれた氷で冷やしたソーダを飲んでおしゃべりをして、夜は満点の星のした、ランプの薄明かりに囲まれて、ゆったり夕飯。 いつも当たり前になっていたものがない生活、不自由を感じるのかと思ったら全然逆。本来こうして過ぎていくであろう大切な時間を再確認させてくれる毎日。 温かいランプの炎が、心を落ち着かせてくれるし、時間もなんだかゆっくり流れているようでとっても和みます。 ![]() そしてなによりママのご飯は本当に美味しい。 ツンザの漁師たちが釣ってきた取立ての海老や魚、新鮮な野菜の煮込み どれをとってもおいしいから毎日楽しみでならなかったな。 ママコンボの民宿で迎えた朝ランプの明かりが消えて、ちょっと薄暗い部屋の中に、ママコンボの陽気なハイテンションの大きな声が響いてきます。 ママは本当に朝から元気。 今日も一日楽しく頑張れるpowerを分けてもらえます! 揚げドーナッツに、もぎたてバナナ、甘くって温かいチャイ、ママコンボの元気な笑顔で目もすっかり覚めちゃった!
今日も早起き!
朝からお腹一杯食べて、元気一杯になって、村のある森をお散歩します。 村の言葉で挨拶して、村の女性達みたいに色とりどりのカンガをまとって、もうすっかり気分はドゥルマの仲間! ![]() この村の生活を支えているのが、漁師達! まだ9時前なのに、チリチリと肌を刺す日・・・ 空もとってもまぶしくって、散歩日和!って言うかそれ以上・・・。 そんな、太陽の下で真っ黒に焼けた肌漁師たちが、今日の漁に行く準備中。 ![]() この丸く囲ってあるのが魚を捕まえる罠。漁師達が、職人技で一つ一つ手で編んだサイザル麻の網を使っています。 「もう年をとったから時間がかかるんだ・・・」って。 それでも手品のような早業でサクサクと編んでいきます。なんだかとってもその後姿が素敵だったな・・・ そして、海へでる船も丈夫なココナツの樹をくりぬいたカヌー。 大切な船に、乗せてもらっちゃった・・・。 これに乗って網を仕掛け、 海老や、魚を採ってきます。 ![]() ![]() そんな、カヌーも魚の網だって、家だって、牛小屋だって、なんだって作れちゃうのが、「天才少年ンゴロちゃん」 土台も枠組みも、土壁も全て忠実にそのまま!ちいさな家の中まできちんとものがあって・・・ 将来は立派な大工さん?それとも建築家になって大きな学校とか建ててくれるのかな?! ![]() 丘を登って、草を分け入って、森を抜けて・・・・ ずっと続く一本道。 高台の家からは真っ青な海、そしてその遠くに、モンバサの町の工場地帯が・・・ まったく違う時間が流れているこの村からそれを見ると、なんだかちょっと変な感じ。 大きなバオバブの木も一杯!! バオバブの実は子供たちの大好きな駄菓子です。 ![]() 学校帰りのこどもたちが走って追いかけてきたり、 ![]() ![]() とっても恥ずかしがりやなんだけど好奇心が旺盛でどこまでもくっ付いてきたりして・・・ 「なんだかのども渇いてきたな・・・」 なんてころ、 バーティーやベマテモが椰子の木に登ってもぎたてのココナッツジュースを取ってくれました。 ![]() ![]() 炎天下の空の下になっているのに、冷たくって美味しい~ほんのり甘くて、見た目より一杯つまってて中のココナッツの繊維まで食べられて、大満足です!! ![]() そして、コレ!! 洋ナシみたいな上に、くるっとした小さな実がついたコレ、カシューナッツです。こうしてひとつずつ樹になっています。 カシューナッツはケニアの人にとってとてもなじみある樹。そんな採りたてのカシューナッツを、目の前で炒って、割って、アツアツで出してくれました。 ![]() ![]() たくさんの人に会って、話が聞けて、ちゃんと「ド~フィ~ゾ」が言えて、そしてこんなに色んなもてなしまでしてもらって・・・ 今日は始ったばかりで、まだまだ長いけど 本当にもう「お腹が一杯で苦しいよ~」ってくらい 一日一日、ひとつひとつの出会いが大っきいです。
村の「太鼓作り名人」フィリッポ長老
その太鼓の素晴らしさは、近隣の村にも名高くて、わざわざ手にいれに来る人もいるくらい。 ![]() 太鼓の音が決まる、皮の張り具合や強度、補強に使うサイザル麻の手編み、縄、台となる樹を選ぶところからフィリッポさんの目利きは確かだからそして熟練した腕があるから、沢山の人を魅了する太鼓が出来上がります。 そんなフィリッポさんが、いつもは何週間もかけて作っている太鼓を、どうやって作るのか木の削り方、縄の編み方、皮の磨き方、張り方・・・ 全て一から見せてくれそして最後の仕上げまでその技術を目の前で見せてくれました!! ![]() この素晴らしいフィリッポさんの太鼓つくりの技術、今はまだ後継者はいないそうです。伝統音楽に対する、とらえ方の違い、若い世代との壁・・・ いくつかの問題もある中、まだほんの小さなフィリッポさんの息子が目をキラキラさせて興味を示しています。彼が少しずつその作り方を覚えて、そのよさを知り、伝えていってくれ、伝統音楽の良さ、そして新しい形が広がっていくんだろうな・・・・って、 彼の後ろにすごく先の未来が見えるようで心が和みました。
まったく予定にはなかった新しい「繋がり」
マテラさんや村の長老達の提案で、この村の、この土地にわたしたちの樹を植えていって欲しいと・・・「私達の足跡」がここに残せるんだ。 ![]() 4本のやしの木とひとかぶづつ植えた「パイナップル」。甘い身が実ったころ、 また帰ってくるね! 帰ってきてね!! そんな思いを託して・・・ ![]() 東アフリカの伝統音楽「センゲーニャ」 伝統文化を守り知恵と自然への敬意を継承し続けながら生きる人々、それがこのドゥルマの人々です。 彼らは神を敬い、信仰を大切にする彼らの生活の中で音楽はとても大切な役割をになっています。 楽しみとしてだけでなく、祈り、祝い、悲しみ、様々な生きていく中で起こる時々をこの音楽と一緒に歩んでいます。幼いころから、身体にしみついている「音楽」 ![]() 大人たちは、伝統音楽を守り続け、 若者達は、伝統を守りながら自分達流の新しい形で表現する、 様々なジャンルの自分達の音楽に誇りを持ち、 そして互いの音楽にも敬意を示す ![]() とにかく、 たくさん笑った たくさんの人と手をつないだ たくさんの人と踊った、 気づいたらまわりは真っ暗になるくらい 時間も、何も、全て忘れて・・・ ![]() もうおしくら饅頭みたいにみんなに囲まれて 汗まみれになって クタクタになって それでもすっごく心地よくって みんなで一緒になって笑いころげて。 そして、この村のみんなは子供も大人も長老達も、みんな疲れ知らず いつまでもいつまでも 太鼓を響かせて、声を上げて、動き続ける・・・ 夜中まで、明け方まで、 ずっとずっと続いていきそう。 そんな、この大切な瞬間にこの場所に、一緒に居れたこと絶対忘れられないと思う。 そして、この先の「大きな力」になってくれると思う。 暗闇の大きなバオバブの木下で聞いた「声」、みんな忘れられないと思う。 「感謝」しているのは、私のほう。きっと、私達のほうです。
今日は、フィリッポさんの家で、漁師の人たちなどが集まっての「ンゴマ」
![]() まだ人が集まってなかった庭。でもフィリッポさんの叩く太鼓の音に魅かれてつぎつぎと集まってくる人達・・・ 気がつけばいつの間にかまわりにはいっぱいの人 そして色とりどりの花や、カンガ、歌声・・・ この村で私たちも、ずっと、 ついたら「ンゴマ」 夜中まで「ンゴマ」 帰るまで「ンゴマ」 ![]() ![]() ![]() ![]() 子供たちもみんなワクワクしてきちゃうよね ![]() この村の、この音楽の持つエネルギーを一杯もらって、力を一杯漲らせる事が出来たなぁ・・・ ![]() きっと、ここには本当にこんな「大きな大きな神様」がいてみんなを守ってくれてる。 そして、ここへやってくる新しい人たちを、心から歓迎して受け入れてくれる、守ってくれる。 私たちみんなの心にも、そんな「思い」がしっかり聞こえてきた気がします。
たくさんの人と、たくさんの音楽と踊り、そしてたくさんの思いに出会うことのできたツンザ村
![]() 村が抱える問題は沢山あるといいます。 子供たちの教育の事、伝統音楽に対する考え方やとらえ方の事、世代間にある壁、年々減りつつある村の産業でもある漁業のこと、経済的なこと・・・ 新しいものを取り入れ、前に進んでいく事の大切さと、 古くからある変わらない素晴らしいものを守っていくこと、 とても難しいことだけど それが上手く合わさりいい形になっていって欲しい。 私達は、その現実の厳しさをわかっていないかもしれない、遠くから見ていることしかできないかもしれない でも、「見てしまったから・・・」 この村の素敵な魅力と、愛情溢れる人々の笑顔を見てしまったから ただただ、忘れられないこの大好きな村の魅力をこの先もずっと「見たい」って思う・・・。 ![]() まさに「桃源郷」 本当に、さっきまでそこにいたことが嘘のような、遠くなって行く村に後ろ髪を引かれながら、小さな船に揺られて、ゆっくりゆっくり・・・・・。 太鼓は、大切な伝達手段でもあると言います。 嬉しい事、緊急の事、悲しい事・・・ 色んな響きに思いを託して、遠くに暮らす仲間へと伝えます。 村から村へ・・・次々とまた太鼓を叩き、託し、伝わっていく「言葉」 私たちの暮らす町まで、聞こえてくるかな・・・? きっと、私たちみんなの耳には、聞こえてくるよね・・・ずっと。
村をあとにし一路、モンバサへ・・・
![]() モンバサは、ナイロビの南東約450kmに位置する、インド洋に面した、ケニヤ第2の都市。モンバサの名前の由来は 「戦いの島」の意味からきているそうです。 この町はいくつかの顔を持っています。 ケニヤ最大の貿易港。 マリーン・リゾートの街。 そしてかつての「戦いの島」の痕跡 ここが天然の良港であり、アフリカの入り口に位置するところから、その支配権をめぐり、その昔から、インド、パキスタンから来たインド人や、アラビア半島から来たアラブ人、そして先住のアフリカ人がここで激しく戦ってきました。 その象徴であり痕跡が、1593年に作られた、巨大な城塞 「フォート・ジーザス」。海からの侵入を防ぐために作られたこの城塞は、実は大きな一枚岩をくりぬき削りつくりあげたもの。その後、奴隷貿易の拠点となり、400年たった現在も堂々とした勇姿で、モンバサの街と、インド洋を見下ろしています。 ![]() ![]() 中には、博物館もありこの周辺のインド洋から揚がったもの、金や食器などが展示されていたり、ケニアの民族の歴史や流れの写真も展示されています。 そんな中に、ついさっきまで目の前で見ていた、聞いていた懐かしい踊り・・・。 村の人々と一緒に「センゲーニャ」を踊る、ムゼ・マサイの写真が展示されていたんです。嬉しくって、見て!!って言おうとした、バーティー、尊敬していて大好きだった亡きお父さんの姿に、「バーバー!」って、号泣・・・。 前からずっと来たかったフォートジーザス。きっとお父さんが呼んでいたんだね・・・思わぬ再会&写真のお父さんと記念撮影までしちゃって超ご機嫌! ![]() ![]() ちょっとcuteで可笑しな地元学生ボランティア君が耳に花を刺して城壁の外に広がる町も案内してくれました。 フォートジーザスの廻り一体は「オールドタウン」と言われ、迷子になりそうに入り組んだ路地、そしてそこにある街の雰囲気は、また違うゆっくりした時間が流れていてアラブ系の顔立ちの人たち、服装、建物、イスラム寺院などもあふれ、どこもかしこも異国風の香りに満ちています。 みんな夜遅くまで、路地のあちこちに座って集まっていて、のんびりコーヒーを飲みながらお喋り。同じケニア人にとってもまったく違う彼らの生活スタイルは驚きだったようです・・・。気候もまったく違えば、言葉も生活の流れも全然違う、ケニアはまだまだ未知が一杯で楽しくなってきます。
今日は終日移動。東海岸の町モンバサから、アンセボリ国立公園までの長い道のりです。
だからご飯は唯一の楽しみ!もちろん、窓の景色も充分ゴチソウでもありますが・・・。 ![]() 途中休憩した町、ムティットアンディラでお昼ご飯 今回の長い旅路を運転してくれたドライバーの3人、ムガネさん、ブラウンさん、キアマさん 安全運転かつおもしろい話も一杯してくれた彼ら、コレからがその腕の見せ所・・・ なんてったって、サファリのプロですから! <今日のお昼> 3種の炊き込みご飯、シチュー、牛肉の煮込み、じゃがいもの煮込み、玉葱とトマトのサラダ 大きな太陽が水平線に沈むのを横目に感傷に浸りつつ・・・ 爽快にサバンナを走り、今日の宿泊地ナマンガの町へ・・・ 今夜はロッジでテントに泊まるキャンプです!! 貸しきり状態のロッジ、パチパチ炭火のBBQディナーで疲れも吹っ飛んじゃう!? ![]() キャンプ場で迎えた朝。 まだ靄のかかったうす明るい空。 鳥の声で目が覚めるなんて久しぶり・・・ それもハンパないくらいの大音量! 小鳥がつついているのか、テントの上に次々舞い降りる、 木の実の音 「コンコンコン・・・」 天然の目覚まし時計 ひとりでひとつ占領できた テントの中はふかふかでとっても快適で、久しぶりのキャンプ気分を満喫!! もっとテント生活してもいいな~ってくらい。 今日これから待っている一日が とっても特別なもののような予感までしてきちゃうから、不思議・・・ ![]() まだ靄のかかった空の下、温かいチャイを飲んでほっこり。 BBQの炭火で、ソーセージやオムレツも焼いてくれて、 とっても濃厚な蜂蜜をたっぷりかけたバタートースト シリアル 果物・・・ 朝から美味しくってシアワセですね~。 ほかにお客さんが居なかったから私たちのためだけに!!のサイコーに贅沢なブレックファースト ![]() みんなこのたびですっかり大好きになっちゃったパイナップル もぎたてをシェフがカットしてくれて・・・ とっても甘くって美味しい。 憧れのキリマンジャロの麓までもう少し・・・ 雲の切れ間から見えるかな?とみんな期待にワクワクです。 TIZY HOTEL Namanga, KENYA
アンボセリ国立公園
ナイロビから南へ約240km。タンザニアとの国境に近い。広さ392km。1974年設立の国立公園。 アンボセリとはマサイ語“たくさんの水”という意味。 アフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5896m)が見られ、ここからの眺めは最高。キリマンジャロ噴火の際に出来たアンボセリ湖の水が干上がってできた国立公園で火山灰に覆われているため土の色が白く乾燥しているのが特徴。中央にはキリマンジャロからの水と地下からの湧き水の湿地帯があり、様々な動物が集まっています。 このキリマンジャロを近くに眺め、地平線を越える大きな太陽を見る。 そんな「壮大なロマン?」を、胸に・・・アンボセリ公園のゲートくぐります。 ![]() ゲートをくぐると早速キリンの親子が長い首を伸ばしてこっちを見ていたり・・・。 もともとここは、キリマンジャロの噴火で出来たアンボセリ湖の大部分が干上がってできあがった平地。 アンボセリ湖は雨季のみ現れる常にある湖ではありませがところどころに水が湧き出ていて広大な湿地帯が広がっています。 青々とした緑と広い空、太陽の反射する水辺・・・。 遠くにはフラミンゴの群れが休んでいる姿が。 水辺にはたくさん見たこともないような色とりどりの鳥達が・・・。 ![]() 3台に連なる私たちのバン。 車の屋根を開いて、360度大草原を見回します。 ドライバーの3人はとにかく目がよくて見えない遠くの森のほうにまで動物達を見つけます! 遥か、キリマンジャロはやっぱり雲の中だけど・・・ とにかくひろい大自然に感激! でも、公園内では動物の生活が中心・・・ 高鳴る胸を必死に押さえて静かに感動~!! そして、つぎつぎと青々とした草原に動物達の姿が・・・・。 「あっ!!」 ![]() しまうま君達の群れがお食事中~!!凄い数! 本当に芸術的な美しさのしまうま・・・ 自然って不思議。 ![]() インパラ君が道を横断中。邪魔しちゃってゴメンネ・・・。 ![]() ![]() そしてキリマンジャロの山を目の前に、広大な湿地帯を展望できる 「オブザベーションヒル」 へ登ります。 ここは公園内で唯一歩ける場所。 真っ青な空の下にたって、 思いっきり空気が吸えて、 そして大地が踏みしめられる!! おまけに丘の上からの眺めは・・・・・ただただもう・・・・。 静かにゆっくり、 ひとりっきりの、 みんなそれぞれのペースで時間が流れ始めて・・・ ![]() 「もうなんにもいらない」ってくらい 全てを忘れられるような時間、今までどれだけ持てただろう。 どれだけそれが、私たちに必要なんだろう・・・ 本当にここに来てよかった。 そう思えるような景色・・・。 ![]() 白鷺の群れが水辺を飛び立って、空に真っ白な弧を描いたり、 遠くには、フラミンゴの群れが、 すぐ下では水浴びをしている象の親子 その少しわきには、 大きな口をあけたカバの姿まで・・・ なんだか、 ここにたっているのが不思議なくらい。 本当は、いつまでもここに居てしまいたいくらい・・・・。 ![]() ちょうど水浴びから上がって来たばかり・・・ひとまず腹ごしらえかな? ![]() ![]() ぞうの親子たちは森のほうからみんな一緒にゆっくりゆっくり歩いてきます。 アンボセリではたくさんのアフリカゾウを見ました。実は、このアフリカゾウがいま公園内にたくさん流入してきていて、それがひとつの原因でこの一体の砂漠化が進んでいるともいわれています。しかし・・・それも人間の活動範囲が広がったため、近隣より避難してきたもので原因は私達にある・・・彼ら家族の姿を見ると、真剣に考えなくてはいけない事が沢山あることを当たり前ながら再確認させられます。 象はすごく記憶力がよくて、また仲間を大切にするんだそうです。以前、年老いて歩くのも困難になった老象を、仲間が両側から支えながら歩く姿をTVで見た事がありました。本当に歩けなくなって倒れこんだ後も必死に何とかしようと、見捨てることなくずっとずっと側を離れない姿・・・。 この公園で見た象たちも、みんな支えあって、守りあって生きていて、 なんだか少し「邪魔をしてしまってゴメンネ・・・」って気がしちゃった。 でも、「温かい姿を見せてくれて、ありがとう」って気持ちはもっともっと一杯でした。 ![]() ゆっくりゆっくり・・・・・ 今回訪れたのはあまりにも有名な山キリマンジャロを望むタンザニアとの国境に位置するケニア有数の国立公園のひとつ、 マサイ族が今も守られ暮らすことのできている貴重な自然が残る。 <アンボセリ国立公園> 面積:392平方キロ 位置:ケニア南部 環境:サバンナ、湿地、疎林 <主な動物> 肉食獣 ライオン、ハイエナ、セグロジャッカル、運が良ければチーター、サーバルなど 草食獣アフリカゾウの群れが多く名物であるとともに、まれに珍しいフサミミオリックスも見られる。他ではグラントシマウマ、マサイキリン、カバ、イボイノシシ、トムソンガゼル、グラントガゼル、インパラ、タンザニアオグロヌー、コークハーテビースト、コモンウォーターバック、バッファローなど 鳥類 様々な環境が存在するので、ケニアでも有数のバードウォッチングポイントである。 特に湿地では水鳥、サバンナではダチョウや猛禽類が多い。
アンボセリ国立公園へ・・・
この国立公園の中に、いくつかのマサイ族が暮らしています。 ![]() 彼らは、自らの村を公開し、旅行客たちにマサイ族の暮らし、踊りや歌という文化、そして彼らの現実をみて知る機会を与えてくれています。 高々と姿勢もよく跳ねるあのジャンプで歓迎してくれ、 彼らの繊細なビーズ細工を買うことも出来ます。 その収益は、公園内にある全てのマサイの集落に分配し生活や、様々な環境を整える費用に当てているといいます。 こういう姿だけを見て「観光マサイ」などといわれ、間違ったとらえ方をしているマサイ族。 ![]() (←マサイの伝統家屋は女性が牛糞と木だけでで作る) 決して彼らが「本物のマサイ」としての誇りや知恵、 自らの伝統や文化、そして放牧を望んで捨てて、観光業で生きていく事を選んだわけではないという事を是非みんなには知ってもらいたいと思いました。 それは自分自身が持っていた誤解でもありました。 ![]() マサイは国が勝手に決めた国立公園やそれにまつわる規制の中でずっと昔から生きてきた土地を奪われ、 やむなく生活の糧でもある家畜を手放さざるを得なくなり、 それゆえに彼らの食文化すら変わり、現金収入が必要になっているという現状です。 現金収入があるからと言ってもあくまでも彼らの生活の場も形も、火起しの技術や、放牧が中心である事も何も変わってはいませんし、伝統文化も変わってはいません。 ![]() ただ国の初等教育の義務付けにより、学校教育や校舎建設が必要になったり、また学校に行く事によって戦士としての時間(彼らは少年期のある一定の時期を戦士として過ごしています。)をすごせなくなりつつある若い世代や子供たちの抱える問題・・・が大きくなってくることはあるといいます。 観光化によって減る土地、 広がって来るであろう近代化の波、 国からの規制、 マサイが抱えるこれからの問題(それはマサイのみでなく多くの少数民族が直面している問題であると思うけれど)は困難も多く、大きな過渡期に差し掛かっている時だといわれています。 でもこれだけの長い間変わることなく続いてきた彼らの 「自然とともに自然を乱すことなく生きる知恵」 それは「遅れた文化」ではなくて、これから先をみすえた本当に必要な文化・・・。 その根本は変わらないで欲しい、 いや変わらないでなんていうのは私の勝手で傲慢な言い分なのかもしれません、 ただ もしも普通に、サファリに来てマサイの人々に出会っていたら知ることの出来なかった事、見えなかったものが見え、マサイの人々の魅力やその生活の知恵の高さにも驚き、素直に感動することが出来たのは、本当のマサイの現実をよく知ってマサイを思う気持ちの強い千晶さん、そして真紀さんに出会えたからだと、感謝しています。 そしてほんのちょっと、マサイ族に惚れこんでしまった、私のヒイキ 「マサイは本当にイケ面です!!」 すらりと細くって、背も高い、軽く跳ねるように歩く感じや、顔についた戦士時代の傷、民族衣装に身をまとった神々しい感じ、そして何より草原に一人立っているのが似合うような孤独な感じ・・・ 「誇り高いマサイの戦士」 一体誰がそんな「名」をつけたんだろ? でも、まさにそう。 この次は、 必ず真紀さんの旦那さんの村、近代化の波が及ばないようなはずれにあり今も本来の伝統的生活が続いているという、ジャクソンさん達を訪ねたいって思います。
アンボセリ国立公園で迎えた朝。
![]() また日の登らないうちから、期待にワクワクして、一杯着込んでロッジを飛び出した。 だって・・・ 昨日見ることの出来なかった、というか滅多に見る事ができないといわれる「雲におおわれたキリマンジャロ」の姿が、今日は見れるかな?? 大きなテルテル坊主を作って、期待に胸を膨らませてまだ日の上がらない6時、早朝サファリに出発。 「キリマンジャロは見れるかな・・・・・」 水平線から昇る太陽の日をうけ、キリマンジャロが裾野から頂上に積もる雪までその姿を・・・ ![]() 近年、雪の積もっているキリマンジャロを見れる機会は少なくなって来ているにもかかわらず・・・「地平線から昇る大きな太陽と、キリマンジャロ」が見れるなんて・・・「シアワセ」です。 そんなキリマンジャロが見えたのもほんのわずか。霞がかった、雲に包まれたいつもの神秘的な山の姿に戻ってしまいました。
アンセボリからナイロビへの帰り道、キンテゲラにあるサイディアフラハを訪れました。
![]() 車が近づくに連れて遠くから 「welcome♪welcome~♪」の、かわいい手拍子でお出迎え・・・ 「サイディア・フラハ」は、1994年3月。ケニア政府からNGO登録された女性と子供を支援する団体。スワヒリ語で「幸福の手助け」という意味です。 ケニア人と日本人の共同運営で、荒川勝巳さんは2005年11月社会貢献支援財団から、長年にわたるサイディアフラハの運営を評価され「社会貢献支援者賞」を受賞。 はじめは何にもなかった空き地に、今は、こんなかわいい幼稚園と養護学校、洋裁学校、そして溶接工養成教室が建っています。 ![]() 小さな可愛い教室には勉強が大好きな子供たちの作品が一杯。そして、午前の授業を早く終えたお腹をペコペコに空かせて待っていてくれた子供たちと一緒にそんな教室に並んで給食。 ここを手伝ってくれているママたちの手作り料理。チャパティーとウガリは一緒に作りました。 言葉は通じなくても、一緒に同じご飯を囲んで器用に手を使って食べるご飯はやっぱりおいしいね。おかわりする子や食べるのがゆっくりな子、お喋りばっかりしている子、ニンジンは最後までとっておく子・・・ ![]() みんな個性豊かで色々だけど、やっぱり子供ってどこも同じで無邪気で可愛い。そしてとっても甘えん坊。 <Saidia Furaha Organization>P・O・Box10 Kitengela 00242 KENYA
最後の晩餐には、ケニアに赴任している青年海外協力隊の4人の方々と、ケニア在住30数年の獣医の神戸先生、マサイの妻でもあるツアーガイドの永松真紀さんが集まってくださり、
ナイロビで語学学校を開いている上田先生の手料理を囲んで、美味しいご飯の後には協力隊の皆さんとの、パネルディスカッションもあった、賑やかでとても勉強になるお食事会を開いていただきました。 10日ぶりの日本食に大興奮で、写真も忘れてしまいましたが・・・ ナカナカ材料も入りにくいであろうナイロビで、手作りのおでんです。がんもも、こんにゃくも、つくねも、みんな手作り! レバーの煮込みや、砂肝のピリカラまで・・・まるで居酒屋で寛いでるみたい!「とっても美味しかったです。ご馳走様でした」 ケニアでの夜も、今日が最後です。 残留組は、それぞれ次ぎの滞在先へと向かい、一人減り二人減り・・・なんだか凄く寂しいけど、 でも同時に凄く前向きな気持ちになれて笑って「バイバイ」出来るのが不思議だな。 明日は最後の一日。 最後の大きな朝日をしっかり見て満足な一日を・・・ ![]() ついに長かったケニアでの時間も最後の日になりました。 今日は、それぞれが興味のある場所を訪れる為に2組に分かれて行動。 ケニアに来ていながらまだ見ていなかった首都ナイロビ市街地を見たあと象の孤児院を訪れる組と、HIV孤児達を育てている施設へ子供たちと遊びに行く組に分かれて出発しました。 ダフネ・シェルドリック動物孤児院(象の孤児院)はナイロビ国立公園に併設しています。 ![]() まだほんの2ヶ月の小さな赤ちゃんから1歳から2歳くらいの子象まで12頭の象が保護されています。子象たちの小屋や、レンジャーのオフィスの一角には、毎日園内にリハビリを兼ねて散歩に行っている子象達が並んでお昼のミルクを飲みに帰ってきます。 11時から12時の間だけ、その姿を見ることが出来、象たちの健康状態や現状など様々な話を聞かせてもらえます。 時間が限られているのは子象たちが人間に慣れてしまうことを防ぐ為。人間が大好きになってしまったら密猟者にまでも喜んで近づいていってしまう恐れもありますから・・・ ここへやってくる象たちの多くは、母親を密猟者に殺されてしまったり、干ばつや洪水の影響で群れからはぐれてしまったり、とても怖い思いをし瀕死の状態から助けられたような子達ばかりで、怯えていたり攻撃的だったり、殻に閉じこもってしまっていたりと深く傷付いている子ばかりだといいます。 象の記憶力はとてもよく、特に母親や群れと一緒に過した時間の長いこの方が傷は深くリハビリには時間がかかります。こんな無邪気にミルクを飲んでいても食事の時以外は皆から離れて警戒していたりと・・・ ![]() 赤ちゃんは温度調節が出来ないので毛布を被らせたり、皮膚を守るためココナッツオイルを塗ってあげたり、時には一緒に眠ったりと、レンジャー達が時間をかけて愛情を注いで心の傷を癒し、野生へ帰る準備を始めて行きます。象の母親は過保護なほどに子供を大切にするそうです。親子の心は象も人間も一緒ですね。 ![]() 少しずつ、元気になって仲間になじんでいった子象たちは、およそ10年の月日をかけて少しずつ野生へともどっていきます。 ナイロビ国立公園の孤児院から、ツァボ国立公園に移され少しずつ自然の中の群れになじんで行きます。 時にはこの孤児院の卒業生でもある大人になった象達が群れの仲間と一緒に迎えに来る事もあるそうです。 1晩帰ってこなくなり、1週間出かけたままになり・・・園のゲートはいつも開いていていつしか自分の意思で彼らが群れに入り、この孤児院を旅立っていく・・・ とっても自然で、 そしてとっても愛情の篭った育て方ですね。 THE DAVID SHELDRICK WILDLIFE TRUST P.O. Box 15555 Mbagathi, 00503 NAIROBI KENYA Email: rc-h@africaonline.co.ke Telephone: +254 (0) 20 891 996 園内には、野生動物の密漁との厳しい現状を理解してもらう為のコーナーが設置されており、 ケニアという国がいかに自然や動物、そして人とのかかわりを大事にして行こうとしているのかが感じられます。 子象の里親制度もあり、HPでは一頭一頭の象の成長記録や、園からのお知らせも見ることが出来ます。 そして旅の最後に出会った最高の笑顔が、 カテンベ君 腎臓移植を終え、確実に元気になっているカテンベ君。彼の笑顔と声がみんなを和ませてくれました。 ![]() 遠くに帰っても、ずっとカテンベ君の頑張りを応援させてね。
こうして11日間とは思えないほど充実した毎日も最後を迎えました。
空港まで見送ってくれた、千晶さん、真紀さん、トモちゃん、ムガネさん、キアマさん、 「どうもありがとうございました。」 沢山のものを見て、出会って、感じて、考えて・・・受け止めて消化していくにはにはあまりにも濃すぎる毎日に、帰ってきた今も心の整理がつかないままでいます。 ただ、ケニアに残った子も、旅を続ける子も、そして日本の各地へと帰っていく皆も、それぞれ様々な感動の思いで一杯、感謝の気持ちで一杯だったことは同じだと思います。 「また帰りたい場所」 をくれた、ケニアの皆さんそしてそう思える素敵なたびを一緒に過してくださった皆, 本当にありがとう。 ずっと「みんな繋がっていこうね!」そして「風が吹いたら」迷わず乗っていこうね!! 沢山の感動、ケニアへの思いの深さ、そして強さと優しさをわけてくれた早川千晶さん 一緒に最高のたびを作ってくれた、 長老、ちゃぼさん、タケさん、スガさん、ユキエちゃん、サオリちゃん、マリエ、ユノちゃん、ジュンちゃん、ユカちゃん、サッチャン、エリちゃん、トモちゃん、サクちゃん 小さな悩みや疑問から、大幅な旅程の変更まで色々なサポートをくださった「たびせん」大西さん、 大西匡哉さん、 永松真紀さん、 サイディアフラハの荒川勝巳さん、 戸倉ゆきえさん、神戸先生、ウエダ先生、トモちゃん、青年海外協力隊の石島さん、五味さん、高野さん、早田さん、カテンベ君、 キベラ・マゴソスクールの皆さん、子供たち、リリアン、妹のスコラ、「マシモニ・ユースグループ」の皆そしてジョン、助産婦のフリーダさん、指圧師のフィリーさん、 ミリティーニの村の皆さん、長老のマテラさん、「ブラックタイガージュニア」の皆、ベマテモ、バーティー、寮母さん、「ジュンバラワトト」の子供たち、 ツンザ村の皆さん、ママコンボ、マカンガ、「ツンザプライマリースクール」の生徒の皆、先生方、タイコ作りの名人フィリッポ長老、天才少年ンゴロ君、ドゥンディゴの若者達、ツンザ村の200人近い音楽家そしてダンサーの皆さん、アブダラ長老、マサイ長老(フォートジーザス博物館にて)、ジャマール・ハッサン=ガイド君 思いがけない素敵なキャンプをさせてくれたナマンガのTIZY・HOTELのスタッフ 村を見学させてくれたマサイ族の皆さん、案内役のジョエル サイディアフラハの子供たちと先生、寮母さん、職業訓練学校の皆さん、ママ達 そして、旅をずっと一緒に廻ってくれたドライバーの、ムガネさん、キアマさん、ブラウンさん 皆さんのお陰で本当に忘れられない素敵なたびが出来ました。 心から、「ありがとうございます!!」 「アサンテ・サーナ!!」
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