キベラ・・・
ナイロビの西部に広がる、人口80万人を超えるともいわれるケニア最大のスラム。
真っ青な空の下に、どこまでも広がるトタン屋根。
植民地時代の鉄道建設労働者らが住み始めたのが始まりです。国から散々各地を引きずり回され、さらに強制撤去を言い渡された彼らがやっと得た安住の地を守る為に、一期に何十、何百という長屋を建ててこの地を占拠したのが、この最大のスラムが膨らんでいった所以。
ここで早川千晶さんらの発案により、地域住民が中心となってストリートチルドレンの小学校支援、女性の自助努力グループ支援、リサイクル活動などがおこなわれています。その拠点「マゴソスクール」の子供たちを訪問です。
80万人の生活の場、そこには当たり前だけど商店があり、機織り工房があったり、床屋も診療所も古くから伝わる伝統薬や占いをする場所もある。彼らの普通の生活の場であるこの町。
そこに足を踏み入れた「外国人」をジロジロよそ者扱いすることもなく、そこにはいつもと変わらないであろう活き活きした活気と、生活力が溢れていて(経験していないけど)昭和初期の戦後の市場や町みたいな感じ。
みんな、前を見て「生きてる」。
学校へ行くまでの道すがら、狭い路地から、家の中からどこからともなく沢山の子供たちが・・・
皆、声をそろえて
「ハウ・アー・ユー?」 「ハウ・アー・ユー?」
と、ちょっと語尾を上げた独特のイントネーションで歌うように声をかけ追いかけてきます。
握手をするのがダイスキなのかな?皆かわいい小さな手を恥ずかしそうに出してきて・・・
いまでも、この「ハウ・アー・ユー」の歌声が耳から離れないくらい。キベラ中の皆の唯一知っている外国の言葉、世界と繋がっている言葉・・・
学校の青い門をくぐったら、もうそこには沢山の子供たち!!
今日は土曜日なのに給食の時間に合わせて,そして私達を迎えるために100人近くの子供たちが集まってきてくれてました。幼稚園生から、8年生までの子供たちの教室をそれぞれ見学。
ケニアの子供たちはみんな学校がダイスキ!!勉強がダイスキです!!
「こどもたちに勉強する機会を与えたい。」
そんな強い意志をもったキベラの住人リリアンさんが長屋の一角で寺子屋をはじめたのが「マゴソスクール」。ここの子供たちは様々な家庭事情を持った子達ばかり。でも皆と一緒に勉強したい、遊びたい給食を食べたい歌が歌いたい、そんな気持ちで一杯! 今日も、小さな庭一杯に集まってそれぞれ歌や、踊りや、太鼓を披露!大歓迎の声が、ひろーい空に響き渡って・・・近所のみんなもワイワイ集まってきています。
歌や踊りが大好きなのは子供だけじゃないっ!先生達も!!
「
マシモニユースグループ」の若者達は、エイズや社会問題に訴えかける歌を作詞作曲
みんなの歌はCDを作って日本でも2枚目が出ています。自分達の歌を誰かが聞いてくれる・・・子供たちには驚くようなpowerの源に・・・
そして
たくさんの歌の後には毎日の幸せをくださる神様に感謝の祈り・・・
そして、大好きな給食です!!お皿を持って並んで並んで・・・
先生達とみんなで給食。私達の「初ケニア料理」
最高のお持て成し料理を作ってくれました。主食のウガリ、独特の味のほうれん草のようなものスクマ、トマト味のシチュー、鶏肉、牛肉の煮込み、豆、とうもろこし、じゃがいも・・・盛りだくさんの美味しい料理を、手で食べる!!そんな豪快さがまた楽しい。
食事の後には私たちからみんなへのプレゼント。新学期を迎えたばかりの子供たち。期待一杯の楽しい毎日の勉強に役立って欲しいから、新しいノートを一人に一冊づつ。160の笑顔が!そしてジュースとビスケットのおやつも。大混乱を防ぐ為に先生は一生懸命(笑)小さい子から順番で、みんな列になってワクワク・・・作ってわたすこっちもワクワクしちゃいます。
美味しそうに、あっという間に飲んでもらえちゃうと嬉しくなっちゃいます。
「美味しい?」って日本語で・・・
「うん!」って。
きっと通じてるよね!
だってこんなに一杯の笑顔で、
一杯楽しい時間すごせたもんね!
そして
キベラで唯一の産院を開いているフリーダさんのもとへ
設備の整った産院を見せてもらいそして何よりフリーダさんが助産婦として不自由なく暮らしていた町の生活を捨てここへやってきたその理由が聞けてよかった。
「見てしまったから・・・」
そのフリーダさんの言葉が、この旅を通しキベラだけでなく様々な「ケニア」を見た私に、今もつねに問いかけてきます。
みんなこの小さな足で
どんな未来を進んでいくんだろう・・・
こんな風に空を切るように、
自由にワクワクする様な夢を持ち続けて行って欲しいな・・・
こんな風に、
青い空に今にも駆け出していきそうな
元気一杯の笑顔を持ち続けていって欲しいな・・・
たくさんのキラキラした瞳と溌剌とした笑顔を、「ありがと」